伏見の龍谷大生や、京田辺の同志社大生だった方にとってはきっと青春時代を過ごしたお店のひとつであろうと思います、京都の居酒屋「時代屋」。
2003年に京田辺に時代屋1号店を出店。現在ではカンボジアにも時代屋をオープンされ、10店舗を展開されています。
その一方で、伏見で1800年あまりの歴史を持つ藤森神社の、神輿を復活させた深草郷神輿保存会の会長を務められるなど、地元深草での地域活動にも精力的に取り組んでおられます。
今回はグローバルなビジネスと、ローカルな地域活動に取り組まれる株式会社時代屋の井上 雅晶 社長にお話を伺ってきました。
時代屋ホームページより http://www.jidaiya-kyoto.net/index.html (2015/04/05現在)
小さい蔵元さんにも美味しいお酒があるという事を知ってほしい!
Q、井上さんは伏見の酒屋、津乃嘉商店の3代目という事で、酒屋というお仕事への思いをお聞かせください。
私の祖父の代は農家だったそうなんです。その祖父の代に酒屋に転職いたしました。祖父の代に農家を続けるか考える際に、大阪に商売の勉強に行き、これからは何の商売がいいんだろうかと考える中で酒屋がいいんじゃないか?と考えて初めたそうです。
実は酒屋をするには免許が必要でして、お店の場所を登録するので、勝手に売る場所を変えてはいけないんです。免許の中で範囲からはみでない事を淡々としていく側面があります。
深草商店街にお店が近いこともあって、同じように家業を継ぐ仲間も周りにたくさんいましたので、家業を継ぐという事に悩みはあまりなかったですね。3人兄弟でしたが男が1人だったので、いつか継ぐんだろうと思っていました。
Q、酒屋から居酒屋も展開しようと思ったのはどういうきっかけがあったのでしょうか?
お酒というのはどこで買っても同じ価格という商売で、希望小売価格が完全に守られてた業界でした。なのでどこで買っても同じ値段だった昔は、お酒は近所の酒屋で買うものでした。まじめにやっていれば周りにお住まいの方に買ってもらえるので、決められた事を淡々と続けていく商売だったのです。
私の所も一般のご家庭がお客様のほとんどだったのですが、私の代から何か特徴をだそうという事で、日本酒を勉強しました。
当時日本全国には大きい所や小さい所も含めて約2,500くらいの蔵元さんが残っていて、小さい蔵元さんでもおいしいお酒があるんです。
しかしお客さんがお酒を選ぶ基準は、ネットもそこまで盛んではなかったので、どうしても「テレビで見た、雑誌で見た」という事で、マスメディアで取り上げられたものが美味しいお酒となりがちだったんです。
メディアで取り上げられていなくても本当に美味しいお酒をわかってもらおうと、飲食店に売りにいったんです。
でも中々解ってもらえなかったんですね。メディアで宣伝されて、お客さんが知っているお酒の方が売れるものだから、気が付くと周りの飲食店さんに並んでいるお酒はみんな同じになっていったんです。これはおもしろくないなぁと。(笑)
美味しいお酒を自信を持ってもっていくんですが、どうしても飲食店さんには、「TVでやってた◯◯ってお酒はおいてないの?と聞かれるからそっちを置きたい。」と言われてしまったんです。それなら美味しいお酒をしっかり出す店を自分で作ろうと思ったんです。
全国の蔵元に足を運んで、いいお酒を求めました。まだ足を運べてないのはあと北海道くらいですね。
Q、いいものを伝えたいという気持ちから時代屋が生まれていったんですね。現在ではカンボジアにまで出店されていますが、酒屋から居酒屋への転身は大変だった事も多かったと思います。
酒屋は今も私がやっています。時代屋を立ち上げる際も酒屋もやっていたので、お店に自分が立つことができなかったものですから、たくさんの店舗を展開する事は頭にありました。
先程も言いましたが、酒屋の商売は免許制なので登録した場所以外で販売ができないんです。商売はやはり人がいる所でやるものだと思いますが、酒屋は移動ができない。そのような足かせがない商売をしたかった事もあるんです。
お金が大変だった時も確かにありました。お金がなくなったらどんな夢があっても次の展開を作れないんです。そうじゃないと言う方もいると思いますんで、いろいろな手法があるとは思います。
しかし、異業種から入って革命を起こす人がたくさんいると思いますが、業界内の当たり前に則って自分で決めてしまうと成長できません。最初から飲食店業界に入らずやった事でうまくいった点も多いです。
海外に出店することもよく挑戦と言われるんですが、アジアへ出て行く事は時代屋を立ち上げた時の方が大変でしたね。もちろん海外へ出る際の言葉の問題はありましたが、それよりは覚悟の問題だと思います。
お酒と関わるものから見た伏見
Q、伏見という地域は酒処というイメージが強いと思います。お酒に深く関わってきた井上さんから見て酒処伏見のイメージはいかがですか?
伏見は水がいいから美味しいお酒ができた土地でした。元々「月桂冠、松竹梅、黄桜」というお酒の世界のビッグ3が伏見なんですね。私が子どもの頃は最盛期で、ものすごい数のお酒を出荷されていました。CMもどんどん流れてましたね。
しかし大量生産の時代になり、手間暇かけて酒造りをしている小さい蔵元さんも大量生産のイメージで見られ、「伏見の酒はいらん」って言われてしまう時代も実はあったんです。それも伏見のお酒業界が全体で本当に努力して、そういうイメージが今では払拭されたと思います。
私の同世代の方がやっている蔵元があるんですが、お米を磨いて長く発酵させて熱処理をして出荷するのが普通だった当時、機械で絞ってそのままの生のお酒が人気が出ましたが、そういうお酒をつくっている所があまりなかったんです。
その蔵元に相談して、そのままの状態で売って欲しいと伝えて、売り始めたのがきっかけで、伏見のお酒も積極的に扱うようになりましたね。
Q、理念としても「変わらぬ努力と変革する勇気を持ち、仕事を通じて社会貢献を目指す」と掲げておられる井上さんですが、仕事を通じた社会貢献についてお聞かせください。
今の時代はスーパーでお酒やお惣菜を買って、家で飲み会をすれば安くすんでしまいますよね。それでもお店に来ていただくんですから、やはりお店に来て楽しんでもらい、よかったなぁと思ってもらったり、気持ちが楽になってもらえるような場所でありたいんです。
大きな事だけでなく、そういう身近な事からやっていく事が大事だと思っています。先日、海外で出会った日本の方が、「時代屋に行ったことある」と声をかけてくれる事ありました。
会社というのは創業して10年後も残っているというのが難しいと言われています。そんな時代に、学生時代に時代屋に来てくれた方が社会人になって、どこかで声をかけて頂くという事は嬉しいなぁと思いますね。
よいお酒を広めるという事からお店の展開がスタートした井上さん。そんな井上さんは地域の神輿の復活に尽力されるなど、地域活動にも活発です。次回はそんな井上さんの地域への眼差しについてお聞きしています。
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