横大路にある大東寝具工業株式会社。会社名の通り寝具・寝装品に関するお仕事をされています。また、自社の寝具を使い、快適な眠りを提供できるようにと眠りの支援事業も行なっておられます。
今回はそんな大東寝具株式会社代表取締役の大東さんにインタビューしてきました!
ねむりとくつろぎで健康に
Q:大東寝具工業株式会社について教えていただけますか。
1925年の大正14年に創業し、産業分類上は寝具の製造業という業種になります。しかし、現在は、家具製造業・建設業も付随しています。また、私たちは睡眠の支援事業と呼んでいますが、睡眠のワークショップや睡眠相談会を実施し、地域のお客さまの健康増進につながる事業も行なっています。
私たちは、「快眠とくつろぎで世界を元気にしよう」というミッションで事業を展開しています。「よりよい眠り」を提供できる製品やサービスをつくる企業にならなければなりません。そのため、当社で働くスタッフの多くは、睡眠の専門教育機関に出向き、睡眠の知識を習得しており、それらの知識が商品開発や睡眠の支援事業のベースになっています。私たちはあくまでも寝具の製造業であり、睡眠のコンサルティングをしているわけではありません。
また、2012年に建設業を立ち上げ、昨年は建築士の設計士事務所の登録を行いました。睡眠を追求していくと寝具だけでなく、寝室全体の睡眠環境が大切ということがわかり、よく眠るための寝室づくりということでお仕事を空間まで広げました。家は寝室だけでは成り立たないため、住宅リフォームや新築も行なっています。今年度は3〜4件のお家の改装や新築をさせていただきました。
(空気を纏うような着心地、アレルギーの方や乳幼児にも安心な京和晒綿紗)
Q:ものづくりを行なっておられるということですが、具体的には、どのような製品を作られているのでしょうか。
私たちがつくっている製品は、寝具なので基本的にお布団です。胃酸の逆流を抑えて眠っていただくための逆流性食道炎対策の製品や、眠っている間に呼吸が止まる睡眠時無呼吸を低減させるような眠り方をサポートする寝具もつくっています。
その他、座布団もつくっています。畳の部屋があるお家は少なくなってきていますし、畳の部屋があったとしても座布団を新調される機会は少ないと思います。しかし、こういった需要が減少しているものを「現代の生活の中でどのようにしたら使っていただけるのか」ということ考えながら取り組んでいます。その中で生まれてきたものがビーズクッションで座ると背もたれが立ち上がる「tetra」という製品をつくりました。
自分たちだけのものづくり
Q:先ほどのお話にもあったように大正14年に創業されたということですが、その当時から寝具の製造と販売をされていたのでしょうか。
昔は商社やメーカーが商品を企画し「加工製造してくれないか」と私たちのような製造業に依頼し商品化されていました。つくったものは京都の繊維産業集積地である室町の商社の倉庫に納めて、それが全国の専門店や消費者に届きます。創業の大正時代から昭和50年代後半までの何十年間、私たち製造業として作り手だけを担っていました。
しかし、製品をつくるだけでは価格主導権もなく、オリジナル商品もありません。あくまでも室町の商社やメーカーから依頼された商品を作っていました。気がつけばバブルもはじけ、業界もピーク時の半分以下の規模になりました。純粋な寝具業界というのは減ってきています。我々の取引先も少なくなり、自ら売り先をつくらなければならなくなりました。
Q:伏見区には昔から事務所やお店があったのですか。
もともとは古い工場があったのですが半分を潰し、1992年に立て替えました。苦しい時代でしたが、設備投資を行い、新たに営業できる拠点を作りたいと思っていました。加えて、それまでは製品を作る人ばかりでしたが、作った製品を売る従業員も雇用したいと考えていました。製造をするだけでなく、販売もやらなければ絶対に生き残れないと思ったからです。
その拠点として事務所だけではもったいない、地域のお客さまに商品を知っていただけるようにと思い1、2階をお店にしました。ただお布団を売るだけではなく生活雑貨などを置きライフスタイルを提案し、私たちの存在を知っていただきたい。お店と隣接した工場で製品をつくっている信頼できるメーカーであることを伝えたいと思っていました。
(会社の2階には、寝具やガーゼ製品などこだわりの製品が並び、実際に手にとることができます。)
楽しみながら働く
Q:お爺さま、お父さまと代々寝具店をされていて、そのお仕事を近くて見ておられて感じていたことなどはありますか。
会社があるこの場所ではなく、伏見区内の別の場所に実家があり、そちらが職住一体でした。事務所、商品棚、台所があり、違う棟に寝室や自分の部屋がありました。小さい時から職住一体の環境で育ってきて、学校から帰ってくると従業員さんがいて、お昼ご飯を一緒に食べていました。当時は母親の車に乗り、学校から帰ってきて何もすることがないときは車に乗せられ、お布団を運んでいました。二人兄弟の長男なので当然、会社は継ぐべきものだと思っていました。
大学を卒業し、スーパーマーケットを展開している大手企業に就職しました。数年働くと責任のある仕事を任せてもらえるようになり、楽しく働いていました。大変ではありましたが、仕事がおもしろいと感じている時に、当時、代表であった母親に「会社が大変だから、今の会社を辞めて帰ってきてくれないか。」と言われました。父親は他界していたため、女手一つでやっていかなければなりませんでした。大きな会社で働いていたので自信もあり、実家の小さな会社ぐらいなんとかなると思って帰ってきました。
はじめは今まで働いていた会社と、この会社のギャップをとても感じました。以前働いていた会社では、毎日のようにミーティングがあり、朝礼、終礼、中間報告などがありました。また、プロジェクトチームが組まれ、チームに入り仕事をします。この会社では、そういうことは一切ありません。以前の会社ではしくみに乗り、目の前のことを必死にやっていれば、ある程度の結果が出ていたので、自分は仕事ができると錯覚していたのだと思います。
Q:それまで働いておられた大きな会社と家業を継ぐということの違いをとても感じておられたんですね。大変なことも多かったのではないでしょうか。
会社のさまざまな書類を見ると非常に悪い状態ということはわかるのですが、何をしていいのかわからない状態でした。帰ってきてからの3年間はひたすら売ることに精を出していました。このままでは「従業員に辞めてもらい、会社をたたむしかない」と思っていました。当時は、会社を継続させなければならない、お布団を売らなければならないと「やりたいからやる」ではなく、「しなければならないからやる」という考えでした。
30歳ぐらいになった時に、「これでは身がもたない。どうせやるなら楽しい方がいい。」と思い、その時から「インテリアコーディネーターの資格を取りたい」や「寝具だけでなくホームファッション化したい」というようにお布団を売ること以外のことも考えるようになりました。そこで、「しなければならない」から「したいこと」をこの会社でできるようにしたほうがいいと考えが変わったのです。今は従業員のみなさんに私たちの経営理念や経理方針の中で、「できること」や「やってみたいこと」に挑戦してもらっています。やはり楽しい仕事をしてもらいたいと思っています。
(工場を見学させていただきました。多くの工程を手作業でされています。)
Q:お仕事をするなかで大切にされてることは何かありますか。
先代や先々代に幼い頃から言われ続けてるようなことが3つあります。1つ目は「周りに感謝し、世のため人のために尽くしなさい。」2つ目は「いつでも次のことを考えておきなさい。」3つ目は「なにくそ。越えられないことはない。」この3つは幼い頃から言われ続けているため、大切にしています。
Q:今後の夢や展望を教えていただけますか。
私の喜びは会社の喜びですし、仕事を通じての喜びです。人や社会に喜んでいただきたいと思っています。人のために感謝し、尽くせる会社になりたいですし、そういう自分にもなりたいです。喜んでいただくことがなによりもの糧です。
大東寝具工業
〒612-8238 京都市伏見区横大路下三栖山殿66-2
定休日:土、日、祝日(但し祝日のある週の土曜日は営業)